次ページへ

日本大学文理学部数学科事件<資料全文掲載シリーズ>

連載第一回

-----------------------------------------------
<研究資料編(1)>

「学園の制度的保障(大学の自治と学問の自由)

を得るために先ず、我々がなさねばならぬものは、

学校当局の権力主義と、組織の実態を明らかにする

ことである。」

    ---その1---

日本大学文理学部数学科事件の問題点

================================================

           発行日   1965年10月5日

           発行者   日本大学経・短学部学生会

           協力    日本大学学生連合会

 

<巻頭言>

 我々が日頃、日大校舎に学んでいて誰もが感じ取っている最大の問題は、マスプロ教育による弊害が顕著な姿で現れていることである。
 そのことに対し全ての学生は不満を感じ、大学で何の目的をもって入学したのかも月日がたつに連れて喪失していってしまう。
 確かに、この事は、自己の意志が弱いからだと言えばそれまでですが?だが果たして現実の大学を見て、本当に大学の名に値する教育施設などが、どれだけ備えられているかを聞くことは、まさに愚問以外の何ものでもない。
 そのため、学生も現状の教育に憂え、良識ある教授も研究施設等の不足に憂いているのである。
 このような現状から文理数学科事件は、起るべくして起ったのである。
 つまり、文理学部で起った数学科事件は、表面的には、文理学部だけの問題に思うが、しかし、この事件の背後関係は、すべて日大の教育の矛盾から発生してきているのである。
 そのため、我々としてもこの事件を単に文理学部だけの問題として埋没させることは許されないのである。
 そのため、我々学生は、これからますますひどくなる学校当局の圧力に対し、より強い問題意識をもって進む為しこに、知らされなかった大事件「文理学部数学科事件」の要旨を外部の人々によって発表されたものを我々の有志が集めて、ここに発刊することになりました。

 目  次

◎日本大学「高度成長とともに」(朝日ジャーナル「大学の庭」1964年4月19日号より)・・・・・・1
                         美濃部亮吉(東京教育大学教授)

◎私学巨大化がもたらすもの(東大新聞39年5月20日付)若代直哉

◎無視し得ぬ「大学不在」(東大新聞40年2月22付)

◎「大学像の変貌」(京大新聞39年6月15日付) 日大事件と私学像  河野敬雄

◎ドキュメント日大事件(阪大新聞39年11月10日付)清水義之

◎日大事件の教訓(図書新聞39年5月9日付)

◎日大事件と数学者の態度  斉藤正彦(東大教養学部数学教室) 

◎私大教授の身分保障(朝日ジャーナル1965年4月25日号)

◎憂うべき教育(自然5月号)松浦一

◎文理学科問題に対する秋葉安太郎文理学部学部長の返答書

 

「高度成長とともに」日本大学 (朝日ジャーナル「大学の庭」1964年4月19日号より)
                         美濃部亮吉(東京教育大学教授)

 日本大学の入学試験を受けようとして、必要な書類をもらいに行くと、たくさんのパンフレットといっしょに二枚のソノシートが入っている。その中には一枚の紙片が挿入され、「なにとぞプレーヤーにかけてお聞きくださいますようお願いいたします」と書かれている。日本大学に入学するには、少々とうがたち過ぎてしまったけれども、私も一つ頂いて帰った。
 そうしてプレーヤーにかけてみた。赤い盤の方からは、効果と応援歌が勢いよく流れ出る。水色の盤の方からは、日本大学総長の永田菊四郎先生、教務部長の小野竹之助先生、広報調査部長の長谷川了先生の受験者に与える言葉がきこえてきた。

ノー学生運動

 長谷川了先生は、広報調査部長という肩書きを持っておられる。
 元来は、法科の先生であったらしい。しかし現在は、もっぱら広報調査の仕事をやっておられるということである。広報調査部とは、結局は宣伝とかPRの意味であろう。とすれば、もっぱら日本大学のPRに専念されているということになりそうである。
 受験者に赤と水色のLP盤を配るというのも、先生のお考えよるのかもしれない。日本大学ほどに経営がマンモス化すると、PRのために独立の一部を設けなければならなくなるにちがいない。
 小野総務部長は選抜試験のやり方をかんたんに説明される。
 それと関連して、次のように言われる。「本学では、教職員が自主的に組合を作ったり、学生が全学連に加盟したり、学生運動に走ったりすることは好ましくないと考えている。そういう考えを持っている人は、本学の向かないと考えていただきたい」と。
 なおそれに続いて、「安保闘争のときも、本学の学生は中立の態度をとり、これに参加しなかった。これは世間からも大いに賞賛されたところである」と。
 日本大学の当局者に伺ったところでは、全学連その他の学生団体に加盟すると、直ちに処分されるということであった。
 安保反対のデモにも参加しなかったそうである。ただ、インターン制度反対には個人的に参加しており、大学も黙認しているそうである。日本大学では生活協同組合も設立されていない。盛況は政治的色彩をもちすぎていると考えられて禁止されているのかもしれない。
 学生運動の活発な教育大学にいる私にとっては、文字通りの「驚き」であった。
 血の気の多い20歳前後の青年をすべて学生運動から遠ざけておくことがどうして可能なのかと不思議に思われる。それがいいことか悪いことかは見る人によって異なるにちがいない。しかし学生運動に一切タッチしないおとなしい純情な青年は、雇う側からいえば、好ましいに違いない。従って、就職率もよくなり、入学希望者も多くなるに相違いない。また、父兄の側から言っても、学生運動にタッチさせずにおとなしい一方の人間を育てる学校が好ましいと思う人も多いかもしれない。ことに、日本大学に入学を希望する人たちは、中小企業の子弟が多いということである。だとすると、そういう傾向は、ますます強いとも思われる。その結果、その面からも、入学希望者が増える可能性がある。
 日本大学でも、ほかの大学と同じように,大学新聞を発行している。
 しかし、ほかの大学の新聞とは見たところ性格がだいぶ違っている。
 多くの大学新聞は、多かれ少なかれ革新的な色彩がにじみ出ている。
 革新的色彩のない大学新聞は全くないといっても言い過ぎではない。
 日本大学の大学新聞は,そういう色彩は全くない。
 悪く言えば親睦団体の状況報告を集めたものだと言えそうである。
 小野部長の発言に見られるような学生の訓練は,まことに徹底しているといわねばなるまい。
 もちろん,学校当局が,全学連に加わらず,学生運動もしないような学生を,育てることがよい教育であると信じていることも疑うものではない。
 しかし、それだけではないように思われる。
 大学がマンモス化すれば,それに伴って,入学希望者もマンモス化しなければならない。
 学生運動に一切タッチさせないという教育方針は,上述した意味で入学希望者をマンモス化させる手段の一つだと考えられないだろうか。
 私には、血の気の多い学生を、一切の学生運動から遠ざけておくことが,果たして可能なのかという疑問を抱かざるをえない。
 そのために無理な手段がとられているとすれば,大学教育として好ましいことではあるまい。
 20歳前後の感受性の強い学生は、社会のいろいろな矛盾を強く感じ,それに対して何らかの行動をとらないではいられない気持ちになりやすいものである。
 学生運動もその一つの現れであると思われる。
 それを無理に抑圧すれば,どこかにもっと悪い形で,吐き出される恐れがある。
 もしそうでないとすると,骨抜きにされた従順だけがとりえであるという人間が作られるのではないだろうか。



経営もマンモス

 日本の私立大学は、経済の高度成長に伴って、マンモス化の一路をたどっている。私立大学の成長の速度は経済の成長率をはるかに越えている。
 経営のマンモス化は、私立大学一般の傾向である。しかし、日本大学は、世間周知のように、マンモス化する日本の私立大学のうちでも、そのトップを行くものといっていいだろう。大学のデパート化など悪口をといわれるゆえんである。
 マンモス化した日本大学の姿は、両国にある元のメモリアルホール(その前は両国国技館)で毎年行われる卒業式に象徴される。
 1億円を投じて購入したこの講堂には、2万人を収容することができる。
 さる3月20日に行われた卒業式には、さしもの大講堂がすしつめになり、周囲の廊下でテレビを見ながら卒業した学生もいた。
 卒業生は、高校、中学等を合わせて1万2千人ということだけれども、父兄がたくさんつめかけるため、さしもの両国国技館も、全員を収容しきれなくなるという始末なのである。
 とにかく日本大学のマンモス化はそら恐ろしいばかりである。
 日本大学コンツェルンの傘下には、大学院のおよび大学をはじめとして20高等学校、2つの中学校、一つの幼稚園、図書館、病院、実習地、19の研究所、3つの養成所と研修所、学生寮、厚生施設等およそ学問に関連のある限り、あらゆる物が取りそろえてあるといってよい。
 ないものは小学校だけである。
 よい意味でも、悪い意味でも、文字通り、学問のデパートメントストアーである。

 その施設はまた日本全国にいきわたっている。東京の各所に散在している施設を合計すると、31に達する。そのほか北は北海道の長万部にある農獣医学部付属農場から、南は九州の宮崎にある日大高校におよんでいる。 この膨大な施設に関係を持っている人間の数がまたすごい。学校当局さえも、正確な人数は即座にはつかまえられないようであった。しかし、全体で10万人を相当に越していることは間違いないらしい。

 大学院、学部、短期大学部、通信教育部の学生を合わせると約6、9000人に達する。
 教官、職員が約5,000人いるから、大学関係だけで74、000人という膨大な数に達する。
 20の高等学校の学生が約26、000人と推定される。
 推定というのは学校当局も正確な数字を持ち合わせておられないからである。
 高校関係の先生および職員は約600人、病院関係が約千人である。
 合計すると約10万2千人になる。10万といえば、別府市や鳥取市や平塚市がほぼ人口10万の都市である。
 日本大学コンツェルンの従業者(学生を含めて)だけで地方の中都市が作れる。実に、その家族を合わせるとほぼ広島、仙台、熊本などのような地方の大都市に匹敵する数になる。
 日立市は、日立の従業員とその家族とそれに関連する人たちから成り立っているといってよいだろう。
 それでも人口は18万人に過ぎない。人数の天から言えば、日本大学コンツェルンは、日立の数倍の規模をもっているといわねばならない。

 日本大学の予算の膨大さも、また驚くべきものである。昭和38年が108億円、39年が118億円となっている。
 予算が120億円前後に上がる市といえば、東京近郊では川崎市くらいのもので、全国でもそうたくさんはない。

 とにかく、日本大学のマンモスぶりにはただただあきれるのみである。

 日本大学は、昔から小規模な学校であったとはいえない。しかし、こんなにマンモス化したのは、戦後、ことに日本経済が高度成長に入ってからの事であった。

成長も早かった

 たとえば予算の規模を見ると、32年が30億円で、39年が前述したように118億円であるから、7年間に約4倍に増えているわけである。学生数はそれほど増えていない。
 大学の学生だけに限ると、25年が2万3千、30年が3万3千、38年が5万6千、(通信学部学性を除く)である。30年以来の増加率は約70パーセントである。
 この間に日本経済は約2倍に成長しているわけだから、予算の規模から言えば、日本大学の成長はそれやりはるかに大きく、学生数から言うと、やや小さい。
 しかし学生数は経済における就業者数と比べるほうが適当だと思われる。就業者数は約15パーセントの増加にすぎない。

 そうだとすると、日本大学の成長の速度は、日本経済のそれよりはるかに早かったと言わなければならない。
 それはともかくとして、このような日本大学の膨張が、経済の高度成長に並行していること、いいかえれば、高度成長の結果であったことは疑い得ない事実であろう。それはまことに当然のことだと考えられる。なぜならば、高度成長の結果である急激な生産設備の拡張に伴って、大学の卒業者に対する需要が急激に増え、その要請に応える為に、日本大学をはじめとする私立大学の規模も、急速度で拡大されたと考えるからである。

 こういう需要は、理工系の技術者に集中した。その点で日本大学は有利な地位を占めていた。というのは、日本大学は私立大学の中では理工系に最大の重点をおいている学校であったからである。大学の学生全体のうち、約3分の1は理工系(農獣医学部を含む)の学生であった総合大学であって、しかもこういう構成になっている私立大学はほとんどないといってよいだろう。このようにして、日本大学は、ほかの私立大学にも見られないような、めざましい成長を遂げたと考えられる。だから、少し皮肉な見方をすれば、マンモス化した日本大学は、池田内閣の高度成長の落とし子といえそうに思われる。 

 もちろん、それだけではなく、日本大学の経営者のらつ腕に負う所も大きかったに違いない。あるいは大学をそつぎようしなければ一生うだつが上がらないという日本特有の社会情勢もあずかって力があったであろう。しかし、日た大学が急速度でマンモス化した最大の原因は、なんといっても、日本けいざいの高度成長であったといってよいだろう。

 これだけ大学の規模が膨張しても、その経営は、楽ではないだろうと思われる。設備の拡張には、莫大な投資をしなければならない。そのためには、借金をしなければならず、借金には利子を支払わなければならない。大学がぼうだいかするにつれて教職員の数もふえる。彼らの給料は、国家公務員のべ一スアップに順じて引上げなければならない。こういう人件費も莫大な額に達よるにちがいない。

 こういう経費をカバーするのは学生の入学金と授業料だはである。だから、経費がふえるにつれて、一方でみ、授業科を値上げしなければならなくなるし、他方では、学生数を多くしなはればならなくなる。そのためには、設備の一層の拡張が必要となり、その経費をまかなうためには、再び授業料の引よげと学生数の増加が必要となる。

 このように、大学の規模がマンモス化すると一種の悪循環が生じ、とめどもなく規模を拡大してわかなければならなくなるのではないだろうか。

マンモス化の功罪

 予算額が120億円にも達するマンモス大学ともなれば、その経営はなまやさしいものではないにちがいない。膨張する経費に見合って、いかにして収入をふやしていくかという点では、一的の巨大企業の場合と同様である。そこでは、経済の原則が支配する。一般の企業では価格を引上げるか、あるいは販売額をふやすことにさって収入をふやすことができる。大学の場合には、授業料を引上げるか、学生数をふやすかして収入をふやすほかに方法はない。そンに若干のちがいはあるにせよ、いずれも経済の法則に従わなければならない点では全く同じだと言ってもよい。
 経済の法則は必ずしも教育の法針と一致するものではない。

 上述したように一切の学生道動を禁止することは、入学希望者をふやすために必要な手段であるとしても、学生を教育するという立場からみれば、多くの疑問があるといわなはればならない。
 学校がマンモス化して学生数が多くなればなるほど、教授と学生の接触は遠くなる。
 日本大学にも、ちょっとした劇場にも匹敵するようなモダンな大教室が新築された,この教室で、二千人余の学生に向って講演することによって、ほんとうの教育をすることができるかどうかにも疑問がある。

 大学がマンモス化するにしたがって、大学の特徴が失われるのは必至である。
 それと同時に、学生の愛校心の喪失に通じる。いっしじに設した学生は、10万人のうちの、ほんとうにわずかな部分にすぎないから、正確なことはいえないが、私が会った学生のほとんど全部は、日本大学という学校が持っている特殊の学風をしたって入学したのでもないし、さらにまた、日本大学に対して特に愛情を持つといった事も感じられなかった。
 日本大学が学問の切売りをするだけの場となってよいのかどうかにも疑問を技たざるを得ない。

 しかし、大学がマンモス化し、収入をふやすために学生数を多くしなければならず、そのためには高校生の心にひきつける大学にならなければならたいという努カは、悪い結果だけを生むものとは限らない。そのためには、立派な校全を建築しなければならない。そしてコンフォタプルな環境のなかで勉学するのは大へんによいことである。

 ただ、日本大学の校舎のなかには、昔ながらの古い建物が多く、ことに学生のためのホールや食堂はまことにお粗末なものであった。

 大学全体がマンモス化しても、特殊の科目については、小人数で優秀な先生をかこんで勉学にいそしむことも可能である。日本大学の特徴である芸術学科などはその例であろう。
 その中にある立派なテレビ・スタジオなど、地方のテレビ局ではお目にかかれないほどの立派さであった。
 これも、100億円以上の予算を持ち、学部がそれぞれ独立採算制をとっていてこそ可能だと思われる。
 また航空学科では、学生たちが三年がかりでほんとうの飛行機を製作し、それに乗って日本一周飛行を敢行している。こういうことも、マンモス大学の一つのなかであるからこそ可能なのだと考えられる。

 しかレ、最大の心配は、高度成長によってマンモス化した大学が、高度成長が行きずまったとき、どうなるかということである。

 


次ページへ続く 

inserted by FC2 system