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日大数学科教官退職事件

                     若代直哉(東大大学院生)  東大新聞39・5・20付

突然四名の辞職を強要

  これからのベようとすることは、昭和37年秋から私立大学の一角、即ち、日本大学文理学部数学科において起っている事件である。
 従って、一応私は部外者である。
 しかしこの事件を知って、私にはそれがただ日大だけの問題ではないような気がするのだ。
 この事件が日大数学科だけの間題として片付はられない問錦であるということは、以下の文章から判断してもらえるものと考える。
 恐らくこの事件はまだ殆んどの人に知られてもいないだろう。
 だから、この事件の、表面を追ってゆくことから始めたい。

 それは昭和36年であった。
 池田正之輔(日大出)が科学技術庁長官の時、私学増設に関する規定が緩和され、学科増設が容易になった。
 そこで各大学で学科増設が行なわれたが、日大文理学郊でも理学系の学科が増設され、36年7月に学生を募集して夏休みに講義が行なわれる予定になった。
 しかしながら設備の拡充、教授陣の増強等がほとんど行なわれないこの学科増設に対して、当然のことながら、教授・学生が反対したことに始まる。
 そして特に数学科の反対が強かったのであろう。
 真の学生募集は新設の応用数学科だけは中止された。

 どうやらこれが亊件の序曲であるらしい。
 明けて翌37年の秋、突如として数学科の助教授、講師4名が38年3月末までに辞職することを強要された。
 その理由は「日大の思想に合わぬ」ということ、そして、日大には組合もなく抗議行動ないしは闘争を支える基盤が全くないというのが実状であるという。

 従って仮に裁判に訴えるとすれば、民事裁判しかないそうだ。
 他の職を持たずその間食いつないで行かねばならない者にとって、それがどんなに大変なことであるかは想像がつく。
 だから直ちに他所に職をみつけるか、さもなければ、自らの思想をすてて、大学の経営方針に追従して首をつないでもらうしかないといえよう。
 何かしら割り切れたい気がするが、だから不当な辞職要求に対して闘争らしい闘争が起っていないのかも知れぬ。

 もちろん学生達も抗議した。釈明を求めた学生達に対して学部長は次のようにいったそうだ。
「教師を養成すれば足りる」
「やめられた先生は移度の高過ぎる講義をしていた」
 そして挙句のはてに、「気に入らない者は退学せよ」「ストライキでも何でもやってみろ」という放言。
 その結果が直接講義に影響するということを理解するのにわれわれは苦しまないだろう。
 集中講義に来たある講師は「一年間やってもわからない講義を2・3回の講義でわかるはずがありませんよ」といって漫談まがいの話しをして帰ったとか。
 またある講師は、「葉書でも何でもいいから講義してくれといわれたのですが・・・・・・・・」という始末。

 ここで、選抜試験に関する総務部長の話をとり上げてみる。
「本学では教職員が自主的に組合を作ったり、学生が全学連に加盟したり、学生運動に走ったリすることは好ましくないと考えている。そういう考えをもっている人は本学に向かないものと考えてもらいたい」
「安保騒動のときも本学の学生は中立の態度をとり、これに参加しなかった。これは世間からも大いに称賛されたことである」
 これは学生に対する方針であるが、この中の「教職員が自主的に組合を作ったり・・・」という文句が4人の助教授、講師の退職と関係がありそうだ。
 設備の抗充及び教授陣の増強を伴なわない学科の増設に対する反対は文字通り教職員の自主的な行動であるからだ。

 ついでに日大では一般の私立大学のように教授会対理事会という形で教育方針と経営方針とが対立するようなことはその出発点から存在していないという。
 このことは、組合がないということによって実証されよう。
 そして日経連の一理事は日大を評価して語る。
「日大は理工系の比重が高いということもあるが、建学精神が一貫している点を高く評価したい。」

 日経連の云う一貫した建学精神なる抽象的な言葉は学部長の「教師を養成すれず足りる」という放言として現象しているのだ。

 先ず第一に、日大ではその経営方針に対する批判は抹殺さわるということ。従って第二に、学問の自由、思想の自由は大学の経営方針の前では全く無力であるということ、は三に、教職員は大学経営方針に盲従する限りにおいてのみ身分の保障がなされるということ。
 最後に、最も重要な事だが、このような建学精神なるものを持つ日大が日経連に高く評価され、それ故に巨大な大学ととて現代社会の大きな部分を占めているということ。

 今、学問、思想がその本拠たるべき大学でまたしても踏みにじられた。
 しかしながら、私はこの学問、思想の自由を振りかざそうとは思わない。
 なぜなら、敢えて云おう。この抽象的た理念は字義通り「抽象的理念」としてしか存在しないのが現実だからだ。

 日大が行なった学問と思想の自由に対するじゅうりんに対してどこから反旗が翻ったか?遥か彼方へ消え去ったにも等しい理念をそのまま現実の大学に適応して考えようとすることは私にとっては余りにもたいくつなことなのだ。 私立大学は「経営体」として存在し、国立大学には一昨年仕掛けられた大学管理に関する文部省の意向が、法案は葬りさられたとしても既に事実として浸入しているのではないかと云ったら云いすぎだろうか?

 そして巨大なる経営体日大にはもともと学問・思想の自由など問題ではないのである。
 公然と教職員と学生の自主的行動が禁止されているではないか。
 公然と「気に入らない者は退学しろ」という放言が通用しているではないか。
 これは学問・思想の自由ではなくして「経営体」が自己を維持、拡大してゆくための自由である。
 従って学問、思想の自由を抹殺するための自由なのだ。

 日大の巨大さを示すために数字を掲げる必要はあるまい。
一つだけあげておこう。
 巨大なる経営体「日大」の傘下にある人数がざっと十万強。
 これに家族等を加えると更に何倍かになる。
 もともと日大は現在程巨大な大学ではなかった。
 それは学生数の増加をみてもわかる。
 二十五年の二万五千、三十年の三万三千、三十八年の五万六千、つまり、日本経済の高度成長と歩調を合わせて、特に最近急激に成長(?)していると云えよう。何故それ程日大は巨大になってゆくのか?
 それは先に記した日大の方針、つまり「本学では教職員が自主的に組合いを作つたり、学生が全学連に加盟したり、学生運動に走つたりすることを好ましくないと考える」ということとそれが日経連理事に高く評価されているという事実から理解しえるであろう。
 企業から愛される大学、それが日大の内容である。
 その姿はひたすら拡大に邁進する経営体である。
 その方法は、経営方針に背くものの無条件の排斥である。
 ある人は云うかも知れぬ。
「日大だから起ったことだ」と。
 確かにそう云うことは出来よう。
 又、ある人ば云うだろう。
「他大学の事には干渉できない」と。もっともな話である。
 だがそれ故にこそ日大は巨大になり得たのである。
 一度巨大なった時には、それは単に大きいという限りの意味をもつだげではない。
 当然のことだが、重要なことは文字通り巨大さが巨大な社会的な力として存在することだ。」
 試みに資料ぱ古いが文部省の私学補助金に占める日大の比率の増加振りを見てみよう。
 三十二年六・四七%三十三年九.三六%三十四年十一ニニ六弗。ことから、経営体としての自由を駆使し、公然と学問・思想の自由を抹殺する大学が、国家予算の益々増大する部分を得てゆくどいう明らかに矛盾が事実として存在しているということができる。
 そして、日大卒の比率が全体の六%を占めるに至っつているとか。
 従つて、この間題は断じて日大だけの問題ではない。
 この間題が日大だけの間題として闇の中に葬り去られる時、恐らく、いや確実にだ、やがて日大は怪物として我々の前に立ち現われるだろう。

                 (東大大学院、経済学科農業経済学専門課程、修士一年)

 

     次回へ続く

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