学術会議"日大事件"に乗り出すー学問、思想の自由委で検討-           次へ
  無視し得ぬ「大学不在」
      数学者間の署名も拡大
                       東大新聞40.2.22付
                   

 37年11月日大文理学部の数学科で、助教授、講師四名に対し「日大の思想に合わぬ」と言う理由から群職を強要し、さらに三十八年三月に助手一名を不明確な理由のもとに解雇した「日大事件」について、学術会議の学問,思想.の自由委員会(委員長・宗像誠也東大教授=育)でば、十七目(水)委員会総会を闘き、当事者の福富.節男氏(東京農工大)や署名運動を行なつてきた上野正氏(教養学部助教授)、さらに目大の数学教室民主化小委員会から一事件の内容を聞いた。
 この日大事件に対して、数学界では、全国の大学の研究者四十名を発起人として「目大文理学部への批難及び非協力」を宣言する声明が昨年十月行なわれると同時に、この声明文に支持する署名も、昨年十二月で千人を越えている。
 自由委では、この数学者の署名運動をきっかけに、この間題が単に日大のみの問題でなく、広く学問思想の自由にかかわるものとして重要視し、秋葉文理学部長からも事情を聞き、四月三目の委員会や幹事会などで検討を加える予定である。
 この日の自由委では、辞職を強要された四人のうちの一人である福富節男氏、署名運動を行つてきた上野正氏(教養学都助教授)、それに日大文理学部の数学教室民主化小委員会の学生の三人が事件の内容、署名運動、日大文理学部の数学教室の民主化運動などについで述べた。
 福富氏は、目大の思想に合わないとの理由で辞職を強要された事情を簡単に説明し辞職の理由については大体の想像はできるが、今もつて明らかでないと述べた。
 さらに、福富氏の受けた暴行についても、 「今想い出しても不愉快なことだ」と言い、昨年九月日大で警察大学の教官の参加のもとに教研修会が行なわれた例をあげ、日大のような教育方針下で数万の学生が杜会に送り出されてゆくことば大きな閥題だ、と述べた。
 続いて上野助教授が昨年十月数学研究者四十名を発起人として「日大文理学部へ非難及ぴ日大が研究者の身分を保証しこれに敬意を払わないなら、,今後一切日大文理学部には協力しない」旨の声明を発し、全国の数学研究者の署名運動を展開した経緯述べた。
 署名は現在までのところ、千名を越え、福原満洲雄氏、古屋茂氏、岩堀長慶氏などの東大教授も署名を行なっており、千名のうち数学会会員は五百名以上に達している。
 上野助教授は
@この事件をなるべく多く.ぴ人に知らせたい
A事件の事惰について今もって不明の点が多いので、適当な機関が事情調査をして欲しい、
の二点を自由委に要望した。
 自由委では三氏の報告を聞いて"全くあきれかえった内容だ〃との声が多く、署名運動を引き続き展闘してゆくようのべた。
 この後、自由委では今後の対策を検討した結果、ともかく秋葉日大文理学部長に自由委に出席することを求め文理学部側の事情を聞くととも春の総会で、この結果を報告することに決めた。
しかし、秋葉学部長ぱ、この事件をひた隠しにしマスコミの目を避げたい事もあつて、自由委に出席する可能性は少ないし、又、学術会議会員として永田菊四郎氏他数名の日大役員が入っていることからみて、学術会議自身の動きにも限界があるとみられる。
 日大事件が持つ間題として福島要一委員は、
@目大文理学部数学科の問題
A数学界の間題
B広く私学全体の間題
の三つをあげているが大きな間題は私学全体の間題であろう。
 私学が経営難に苦しむ一方で、学問の自由を失ない逆に学問の白由侵害の拠点化しつつある大学が次第に増えている。
 教授会が無力、労組,かない、学生の自治活動の制限、学問思想の自由がないことなど多くの間題を含んでいる この点、私学は経営的にも内容的にも緊急に解決を要するものがあるか、最近の慶応授業料ストにみられるごとく、内容にくらべ経営面が強調されすぎるキライかある学術会議には「私大特別委員会」 (委員長、-有泉享東大教授社研)があるが、この委員会でぱ、主として私学の経.営灘と国庫補助をあつかうのみで、私学のマンモス化につれ、研究、教育のない「大学不在」化にはタツチしてない。
 学間思想の自由からも、何らかの対策が望まれている。

 福島要一氏談(学術会議会員、学間思想の自由委員会委員)
「この間題ぱ私学にとって大きな問題だと思う。
 "私学がいかにあるべきについて最近経営面か、国庫補助の点が間題になっているが、むしろ、その「内容」が問題だ。
 つまり、学間の自由の間題であり、その点、これは単に私立の問題だけでなく、学者全体、学問全体の問題であり、国立の教官も憂慮すぺきだ。

日大事件とは

37年11月、日大文理学部数学科の助教授福富節男、木下素夫専任講師銀林冶、倉田令二朗の4氏、秋葉学部長から突然「日大の思想に合わないから来年三月迄に辞表を出してくれ」と辞職を強要され、その理由としては不可解な投書に例をあげただけで具体的な理由や事実をあげなかった。四氏ぱ辞職要求を拒拒否しつつ、日大に〃みきり〃をつけ新しい勤務先を求め、三十八一月から三月にかけて、福富氏は東京農工大、銀林氏は明大に就職が内定したが倉田氏ぱ、一且内定していた東京理科大数学科へ転職が不明の理由で挟定に至らず、結局木下、倉田の両氏のみがひき続き日大に残った。
 又、三月には同じ学科の助手一名が何の理-田もなく解雇され、さらに、進歩的非常勤講師二名が、無断で次年度の講義委嘱からはずされた。
 木下、倉田の両氏にっいても、諸手当を除いた給料のみしか支給されないほどの不当な待遇を受けた。
 その後十一.月に、東農工大に転職した福富氏が、残された私物を日大に取りに行つた際、日大職員から白昼公道でで暴行を受げ、さらには何処かに校至されかけると言う暴行事件が起った。
 福富氏は早速、秋葉学部長に抗議書を送り、謝罪の要求、暴行者に対する処置などを求めたが、誠意ある答えはなされなかった。
 又、日大の学生に対しても種々の制限を加え、三九年六月には学内活動で目立った学生二名を退学処分にしている。


              
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