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日大闘争ドキュメント
       1970年日大アウシュビッツ体制への闘い  

     茶色文字は加筆  1970年習志野年表   新連載:証言=1970年中村克巳君虐殺事件全容

1970年日大斗争

 
 

1970年、それは、暗澹たる情況から始まった。
      一人の全共斗学生が敵に殺された。
       殺した側(日大右翼)は、犠牲者の家族に脅迫状を送った。
      学生の死、その後の一連の背信行為、その犯罪の全ての責任は,
      日大アウシュビッツ体制という悪魔を作り出した古田重二良にある。
      そのファシズム体制を実行した大学側の全ての人間たちにある。
      殺人事件も,そのアウシュビッツ体制のなせるワザであった。

      またしても,この殺人事件の責任が被害者の側に問われた。
      被害者の側が,不当にも起訴されたのだ。
      67年4・20応援団・体連による暴力事件以来,日大事件の全てが,
      この同じパターンだった。
      だが,今度は,国家権力=警察と大学当局が一体となったデッチ
      上げだった。
      日大闘争の恐ろしさは、このような信じられぬ不条理が連続する
      事である。

      2004年現在,水道橋駅前にひときわ高くそびえ立ち,神田一帯を
      睥睨(へいげい)する日大経済学部7号館の高層ビルは,これら学
      生たちの血を吸って建てられた日大反動体制の悪しき象徴である。

1970‐2‐25 中村克巳虐殺事件

70/2/25中村君虐殺糾弾パンフレット(71/1/30発行)から転載。

2月25日11時 文闘委ビラまきに右翼襲撃、重症1名の報入る。
             直ちに全共闘数名かけつける。
             つづいて約30名府中署に逮捕の報。
       12時30分  奥島病院に中村君父親かけつける。
      14時 手術開始。
      警官は病院に常駐。
   14時20分  安岡弁護士病院着。
   16時    青医連の医師1名病院着。
   16時30分  安岡弁護士他現場へ行って調査確認。
   17時    手術終了。
2月26日 2時  田賀弁護士、青医連医師、病院着。
          4時40分 容態悪化、呼吸困難、人工呼吸器。
          9時  右翼テロ抗議ビラまき、京王線下高井戸駅、
                 全共闘80名。
           及川弁護士京王電鉄本社へ行く。
       11時   山崎弁護士病院着。
       13時   下高井戸にてビラまき、全共闘百名。
       15時   兼田弁護士病院着。
              右翼殺人的行為弾劾総決起集会、神田日大理工学部7号館。
            全共闘百名。
       17時 小谷弁護士病院着。
2月27日 1時 青医連医師が検診。
   13時 下高井戸にてビラまき、全共闘百名
      この日日大各学部に、中村君の負傷は交通事故との掲示が出る。
      中村家に右翼からの脅迫状が来る。
2月28日8時 農獣医学部でビラまき。全共闘百名。
   13時 下高井戸にてビラまき、全共闘百名
    17時 病院における警官動き活発になる。
      パトカー常駐。
3月1日3時 中村君鼻から出血。
3月2日7時25分 中村君、家族、友人の見守る中で死す。
   9時   青医連医師病院着。学生続々結集。
   9時25分 山崎医師病院着。
   10時  解剖先を慈恵第3病院と知らされる。
   10時25分古瀬、平賀弁護士病院着。
   11時  警視庁記者会見「自損行為」と断定。
   12時  警察が葬儀屋を呼ぶがことわる。
       検事は解剖に弁護士、家族の立会いを認める。
3月2日14時  警官が遺体を動かそうとするのを阻止。
       中村君虐殺抗議全学総決起集会神田錦華公園から
              日大経済前、聖橋までデモ。
              それに対して、経済3号館の右翼日の丸の旗をふる。
   15時  検死。青医連医師団、弁護団立ち会う。
       各学部の学生、病院に結集中、機動隊に阻止される。
       機動隊のカマボコ3台、制服30人。
       京王電鉄本社(新宿)学生デモのうわさにおびえて、
              シャッターをおろし、消火器を用意。
   17時10分 遺体が運び出される。慈恵医大へ。
   17時40分 遺体が解剖室に入れられる。
        制服がピケットをはって、弁護士さえも近寄らせない。
   18時20分 久保田検事、弁護士や青医連医師の立会いを一切拒否。
        父親だけ5分間入るが、気分悪くなって退室。
   19時      大久保三福会館にて、全共闘側弁護団の記者会見。
          電車事故説に反論。
   22時30分   解剖終了。
   11時30分   遺体が返されて、赤羽の自宅へ向かう。
          解剖医師に対して青医連医師団、弁護団面会。
3月 3日      自宅で通夜
3月 4日     告別式
         礫川公園にて緊急抗議集会デモ、3百名。
                  救援連絡会議で抗議、糾弾の運動を討議。
3月7日     日大全共闘葬準備連絡会議三福会館
        各種15万枚のビラまき始まる。
3月9日     弁護団、青医連医師団、全共闘救対が会議。
                真相究明について。
3月10日 ML同盟葬四谷公会堂。
1970年3月11日 中村克巳・全共斗葬 日比谷公会堂 PM5:00 主催:日大全共斗
         場外にあふれる。
3月15日 現場にて献花行進。日大全共闘、救援連絡会議、府中署抗議。
3月23日 真相究明委員会が糾弾委員会に改編され、
         以後恒常的に活動を始める。
4月13日 日大全共闘集会、礫川公園、デモ。
4月17日 目黒浄柱院にて49日法事。
6月 3日 中村君虐殺右翼を東京地検に告発。
6月 6日 商学部内中村君虐殺抗議討論集会。
    電電通ホールにて、中村君糟谷君の虐殺を糾弾
        告発する集会。
1970-6月7日 浄柱院にて百ケ日の法要。
 
 

全共斗運動の総括試案
  68年斗争スローガン
    1.全理事の総退陣
    2.経理の全面公開
    3.検閲制度撤廃
    4.不当処分白紙撤回
    5.集会の自由を認めよ

 

1970−9−10 全学部授業再開

1970−10−10 朝日新聞朝刊---古田入院の記事

1970−10−21 10・21国際反戦デー 日大2,500
           

1970−10−26 古田死去

1970−10−26  「日大帝王」古田重二良の死 

人間・古田ーーその「百姓」から「帝王」の道は、一つの大学を巨大化させ、腐敗させた歴史であった。
その「巨人」はいまない。
学内は流動化するか、学生は再び立つか。
    (当時の雑誌の記事=高木正幸) 

1970−10−28 古田葬儀

1970−10−30 歯、ロックアウト告示。
           北桜祭(工学部学祭) 10・30--11・3まで

1970−10−31 習、運動会。    芸、学部祭前夜祭。 31-3日まで 
            歯、桜歯祭に関して、31日から3日まで、ロックアウト。
            右ヨク常駐、工学祭31〜3日まで。

1970−11−1 習志野祭→3日まで。。

1970−11−5 文理フラク、下高井戸にて、100名のビラマキ。

1970−11−6 三島祭 6日から8日まで。

1970−11−11 古田の大学葬。  内部において、右ヨクの内ゲバ?

1970−11−12 経、学部長選挙。小林幾次郎、吉田現学部長と一票差で勝つ。
           学園協議会、理想的大学像建設委員会。ホテル後楽園にて。
           講演会。

1970−11−19 農、三茶祭。(19−21)中止。←11月12日の表示によって決定。
           理、3ヵ年計画説明会。(教授会内)

1970−11−24 経、U部自治会設立準備委員会の名において当局に三崎祭に関して5項目要求書を提出。

1970−11−25 U部自治会準備委員会に5項目解答書。

           T部、三崎祭実行委に三崎祭の許可が下りる。
                  当局、三崎祭開催認める。                   

 
         確約書   ○学内宿泊
                ○学内デモはしない。
                ○事件がおきた場合、協議の上当局の処理に任す。

☆三島割腹自殺

1970−11−27 経、三崎祭前夜祭。三崎祭28→30。

11−28 商、砧祭前夜祭。

11−30 歯、執行委員長投票。      津、代議員選挙。(自治会)

1970−12−1 経、再び検問開始。
          現在検問を行っているところ
            経済、法、芸、文、農、郡山(?)

1970−12−2 経、   ○当局、実行委に対し、三崎祭の費用を払わないと通達。
                (壁などに、ラクガキしたとの理由)

1970−12−3 歯、執行委員長決選投票。
                   

1970−12−4 法、部室・部費・獲得斗争に関して学内集会。400名。

12−7 農、日新会によるテロ。(一人)(始めて)

12−10 習志野斗争委、学内集会、50名。駅までデモ行進中、右翼30名にオソワル。
          右ヨク、鉄パイプ等で武装。
               一名、(斗委)らちさる。全身打ボク。

12−12 12・12実行委主催、「弾圧粉砕集会」100名結集。
               理工、習、津、      


      スローガン
                       ○古田なき古田体制打倒。 
                
藤田氏(副手)処分粉砕。
            
     ○日大アウシュビッツ体制粉砕。
 
   
   
   
   
   
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